毎日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
今回の『セピア色の写真が語る』は宝塚におけるプールの歴史についてご紹介します。
宝塚ファミリーランド(2003年閉園)の前身である「宝塚新温泉」の敷地には、公認競技も行われた50メートルプールがあったことをご存じですか? 


「宝塚大プール」

東洋一の設備を誇った 屋外プール
宝塚への旅客誘致のため、1911年に阪急電鉄創立者・小林一三が開業した「宝塚新温泉」には、国内初の室内プールが設けられました。しかし、男女共泳ができず水温が低いなどと不人気だったため、プールを改造して劇場にし、そこで宝塚少女歌劇の第一回公演が行われます。それが宝塚歌劇団の始まりです。
それから約20年経った1932年に、「宝塚新温泉外園大プール(宝塚大プール)」と銘打った屋外プールが建設されます。長さ50メートル、幅20メートル、8コースという立派なもので、東洋初の水中投光器32個が側面に設けられた夜間競技もできるプールでした。また、240人が一時に使用できるクラブハウスと、5千人収容の観客スタンドも完備。当時は、温泉客や歌劇観覧客が陸橋を介して、ルナパーク(遊園地)や動物園、植物園へ自由に行き来できる一大レジャーエリアが出来上がった頃でした。

公認競技大会や 子どもの水泳教室も
「宝塚大プール」のプール開きが行われたのは1932年7月31日。当日は、鎧兜に身を固めて立ち泳ぎしながら弓を射るという、京都武徳会による古式水泳法が披露されました。オープン直後には、ロサンゼルスオリンピックに出場する女子水泳選手を招待して壮行大会を開催したり、全日本女子水上競技大会も開かれ、一般には大人十銭、小人五銭で開放されました。大戦中は、宝塚新温泉の海軍航空隊への接収に伴い、水泳訓練に使用されます。そして1946年、京阪神地方で開催された第1回国民体育大会では、水泳会場として活躍しました。
戦後は水泳教室を開校し、地元をはじめ周辺から訪れる子どもたちで賑わうプールでしたが、残念ながら1958年に解体されました。 参考文献:宝塚市大事典

大プール
宝塚大プール(市史資料室)

【ComiPa! Vol.43(2015年夏発行号)より】