山本といえば植木で有名な場所ですが、実はその山本にあるとってもユニークな言い伝えのある場所(モノ)、皆さんご存知でしょうか~?
親しみ感じる『ねむり観音』の逸話
まず1つめは、その名も『ねむり観音』。祀られているのは山本の人気園芸店「陽春園植物場」のすぐ近く。「泉流寺(せんりゅうじ)」という小さなお寺です。
お寺の名前は掲げられていませんが、階段の横には「不許葷酒入山門」の石碑。よく、禅宗のお寺の門の横にある言葉で「クンシュサンモンニイルヲユルサズ」。つまり「臭い野菜と酒は修行の妨げだから寺内へ入ってはいけない」という意味ですね。
道から本堂も見えています。中を見せていただくことは叶わなかったのですが、この中に噂の『ねむり観音』様がいらっしゃるのでしょうね。
境内に案内板がありました。
『ねむり観音』様の正式なお名前は“木造十一面観音菩薩立像”。市の指定文化財のようです。しかし、こちらの案内板では『ねむり観音』と呼ばれている、ということしかわかりません。
いろいろ調べてみたところ、こんな逸話があるようです。
昔々の奈良時代のこと、西国三十三所を決めるために、長谷寺の徳道上人(とくどうじょうにん)が、諸国の観音霊場を行脚していました。泉流寺の観音様はそのうわさを聞き、「自分もその中に入れてもらえるに違いない!」とそれはそれは楽しみに待っていたそうなのです。
しかし「箕面の勝尾寺が二十三番札所になった」と聞いて「次はいよいよ、自分だ~!」と思ったとたん……あまりに待ちくたびれたためにお疲れだったのか…我慢できずつい眠ってしまわれたのだとか。オーマイゴッド!です。
後に徳道上人が泉流寺に到着、寝ている観音様を見て何度も体をゆすって起こしてみたのですがまったく起きる気配もなし。「さては観音霊場に入るのを嫌がって、居眠りをしているのだな」とスルーすることにして、次の中山寺を二十四番札所と決めて旅立たれてしまったのだとか。
観音様はしばらくして目覚めたものの、もはや後の祭り! 地団太を踏んで悔しがられたそうなのですが(観音様の地団駄、見てみたい!)自分の失敗を後悔・反省し、それからというもの深い眠りにつくことなく、昼でも夜でも訪れる人々の祈願をお聞きになっているのだそうです。
なんとも切ない…でも、観音様もそんな失敗をされることもあるのだなぁと思うと、恐れ多くも妙に親近感が湧いてしまいました。
特に、居眠りで失敗した人や眠りについて悩む人を助ける観音様ということで、『ねむり観音』と呼ばれているのだそうですよ~。
超ハンドパワー!?『行基の投げ石』の逸話
2つめは、泉流寺から歩いて5分ほどのところにある『行基(ぎょうき)の投げ石』です。
(この写真は先日、スタッフが有馬へ行った時に偶然お見かけした行基の像になります)
行基といえば、飛鳥~奈良時代にかけて活動した仏教僧で、東大寺の大仏造立に尽力したことでも知られています。多大な功績を収めて朝廷から日本初となる大僧正の位を贈られたというすご~~~いお方なのです。
しかしその方の投げ石とはいったい??? 天満神社にあるとのことで向かいました。
参拝を済ませて境内を回ってみましたが、それらしきものが見当たりません。
境内には本殿に関する案内板もありましたが投げ石のことについての記述はなく…この石かな?あの石かな?と境内の石を見てみましたが、特に変わったところもない石ばかり…。
その時に泉流寺からの道中にあった小さな境内社を思い出しました。天満神社の東隣、すぐの距離なので移動します。
こちらは黒光稲荷神社。鳥居の赤が目に飛び込んできますね。
ありました! 鳥居のすぐ近く、右側にそびえる大きな一位樫の足元に…
…お、おっきい~~! この石、スタッフが両腕を広げたぐらいのサイズがありますよ? 投げるどころか持ち上げるのさえ難しそうですが、これが投げ石とはどういうことなのか横にある案内板を見てみます。
「あるとき行基がこの地を通りかかり、道を塞いでいたこの石を杖で投げ飛ばしたと伝えられる」
…ええええ~~~ッ?!?!?! この大きな石を?!?! 杖で?!?!?!?!?! 大のオトナが数人で持ち上げるのも難しそうなこの大きな石を?! それは凄すぎますよね?! ぜひ投げ飛ばされたところを見てみたかったものです。
ちなみにこちらの石、「天狗が六甲山から投げた」「付近にある古墳の天井石のひとつ」とも言われているそうですよ。いずれにせよ、歴史的ロマンを感じる逸話で夢が広がりますね。
『ねむり観音』『行基の投げ石』どちらも住所は山本になっていますが、阪急電車の中山観音駅と山本駅のあいだぐらい、両駅どちらからでも徒歩15分ほどで行くことができます。ぜひお散歩がてら、おでかけしてみてはいかがでしょうか~?
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
泉流寺(ねむり観音)
兵庫県宝塚市山本台1-5-18
黒光稲荷神社(行基の投げ石)
兵庫県宝塚市山本西1-5
親しみ感じる『ねむり観音』の逸話
まず1つめは、その名も『ねむり観音』。祀られているのは山本の人気園芸店「陽春園植物場」のすぐ近く。「泉流寺(せんりゅうじ)」という小さなお寺です。
お寺の名前は掲げられていませんが、階段の横には「不許葷酒入山門」の石碑。よく、禅宗のお寺の門の横にある言葉で「クンシュサンモンニイルヲユルサズ」。つまり「臭い野菜と酒は修行の妨げだから寺内へ入ってはいけない」という意味ですね。
道から本堂も見えています。中を見せていただくことは叶わなかったのですが、この中に噂の『ねむり観音』様がいらっしゃるのでしょうね。
境内に案内板がありました。
『ねむり観音』様の正式なお名前は“木造十一面観音菩薩立像”。市の指定文化財のようです。しかし、こちらの案内板では『ねむり観音』と呼ばれている、ということしかわかりません。
いろいろ調べてみたところ、こんな逸話があるようです。
昔々の奈良時代のこと、西国三十三所を決めるために、長谷寺の徳道上人(とくどうじょうにん)が、諸国の観音霊場を行脚していました。泉流寺の観音様はそのうわさを聞き、「自分もその中に入れてもらえるに違いない!」とそれはそれは楽しみに待っていたそうなのです。
しかし「箕面の勝尾寺が二十三番札所になった」と聞いて「次はいよいよ、自分だ~!」と思ったとたん……あまりに待ちくたびれたためにお疲れだったのか…我慢できずつい眠ってしまわれたのだとか。オーマイゴッド!です。
後に徳道上人が泉流寺に到着、寝ている観音様を見て何度も体をゆすって起こしてみたのですがまったく起きる気配もなし。「さては観音霊場に入るのを嫌がって、居眠りをしているのだな」とスルーすることにして、次の中山寺を二十四番札所と決めて旅立たれてしまったのだとか。
観音様はしばらくして目覚めたものの、もはや後の祭り! 地団太を踏んで悔しがられたそうなのですが(観音様の地団駄、見てみたい!)自分の失敗を後悔・反省し、それからというもの深い眠りにつくことなく、昼でも夜でも訪れる人々の祈願をお聞きになっているのだそうです。
なんとも切ない…でも、観音様もそんな失敗をされることもあるのだなぁと思うと、恐れ多くも妙に親近感が湧いてしまいました。
特に、居眠りで失敗した人や眠りについて悩む人を助ける観音様ということで、『ねむり観音』と呼ばれているのだそうですよ~。
超ハンドパワー!?『行基の投げ石』の逸話
2つめは、泉流寺から歩いて5分ほどのところにある『行基(ぎょうき)の投げ石』です。
(この写真は先日、スタッフが有馬へ行った時に偶然お見かけした行基の像になります)
行基といえば、飛鳥~奈良時代にかけて活動した仏教僧で、東大寺の大仏造立に尽力したことでも知られています。多大な功績を収めて朝廷から日本初となる大僧正の位を贈られたというすご~~~いお方なのです。
しかしその方の投げ石とはいったい??? 天満神社にあるとのことで向かいました。
参拝を済ませて境内を回ってみましたが、それらしきものが見当たりません。
境内には本殿に関する案内板もありましたが投げ石のことについての記述はなく…この石かな?あの石かな?と境内の石を見てみましたが、特に変わったところもない石ばかり…。
その時に泉流寺からの道中にあった小さな境内社を思い出しました。天満神社の東隣、すぐの距離なので移動します。
こちらは黒光稲荷神社。鳥居の赤が目に飛び込んできますね。
ありました! 鳥居のすぐ近く、右側にそびえる大きな一位樫の足元に…
…お、おっきい~~! この石、スタッフが両腕を広げたぐらいのサイズがありますよ? 投げるどころか持ち上げるのさえ難しそうですが、これが投げ石とはどういうことなのか横にある案内板を見てみます。
「あるとき行基がこの地を通りかかり、道を塞いでいたこの石を杖で投げ飛ばしたと伝えられる」
…ええええ~~~ッ?!?!?! この大きな石を?!?! 杖で?!?!?!?!?! 大のオトナが数人で持ち上げるのも難しそうなこの大きな石を?! それは凄すぎますよね?! ぜひ投げ飛ばされたところを見てみたかったものです。
ちなみにこちらの石、「天狗が六甲山から投げた」「付近にある古墳の天井石のひとつ」とも言われているそうですよ。いずれにせよ、歴史的ロマンを感じる逸話で夢が広がりますね。
『ねむり観音』『行基の投げ石』どちらも住所は山本になっていますが、阪急電車の中山観音駅と山本駅のあいだぐらい、両駅どちらからでも徒歩15分ほどで行くことができます。ぜひお散歩がてら、おでかけしてみてはいかがでしょうか~?
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
泉流寺(ねむり観音)
兵庫県宝塚市山本台1-5-18
黒光稲荷神社(行基の投げ石)
兵庫県宝塚市山本西1-5