「雲雀丘駅」+「花屋敷駅」

阪急電車に乗っていてふと思ったことがあります。
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「雲雀丘花屋敷駅って、長い駅名だな~ひらがなにすると10文字以上もあるよ~」という小学生のような些細な思いつき。文字も少しばかり窮屈そうですよね。

気になって調べてみたら、昔は雲雀丘駅と花屋敷駅の2駅あったそうなのですが、1961年に統合、2駅の名前をそのまま合体して雲雀丘花屋敷駅になったそうです。

ということは、駅の統合ってけっこうあるのかもしれないと考えた時に思い出したのがお隣の山本駅。

山本駅の(平井)とはいったい??

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こちらはそこまで長い名前ではなくシンプルですが、以前から気になっていた駅名看板のこれ。

「山本」の下にある(平井)。この“カッコヒライ”、気になっていた方もいるんじゃないですか~? もしくは山本駅を利用しているけどそんなのついてたっけ?という方もいるかもしれませんね。それくらい、当たり前のようにあるのがこの“カッコヒライ”。

確かに山本駅があるあたりの地名は「平井」ですが、かっこ付けで所在地の地名を明記しているだなんて聞いたこともありません。なんだか統合の匂いがプンプンしてきます。

そこで調べてみると…ビンゴ!やはりお隣の雲雀丘花屋敷駅と同じく、山本駅も統合駅だったことがわかりました!

そう、もうひとつ1944年まであったのが、この“カッコヒライ”の平井駅だったんです。こちらは当時から利用者も多かった山本の名前のみをとったのだそう。

しかし統合の際に「平井という駅名を残してほしい!」という地域の方々の要望があって、この“カッコヒライ”が駅名看板に記されているのだとか。なんだか地元の方々の想いが込められていると思うと、胸アツですよね。

“旧山本駅”はこんな場所にあったのか!

そして調べている過程でもうひとつわかったのは、昔の山本駅は今の山本駅とは場所が違っていたという話! 今の山本駅の場所は、昔の平井駅と山本駅のちょうど間ぐらいにあたるんだそうですよ。

昔に山本駅のあった場所がわかるものがあると聞いたので、実際に足を運んできました!

それが、この石碑。
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はっきりと「阪急電鉄 旧山本駅跡」と刻まれていますね!こちらは現在の山本駅から宝塚方面へ約8分ほど線路沿いに歩いたあたりにあります(個人のご自宅の石垣なので、見学や撮影される場合はご迷惑にならないようご注意くださいね)。

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ちなみにこちらの石碑は、宝塚市山本自治会の発案で建立されたものとのこと。こちらも地域の方々の地元愛が感じられます!

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さらに、この石碑すぐ近くにある踏切には「旧山本踏切道」とありました。“旧”の文字がついているのは、このあたりに旧山本駅があった名残なのかもしれません。平井駅に関しては、残念ながらこのような跡地を示すものは見つかりませんでした。

跡形もない今津線・幻の“鹿塩駅”

実は今津線にも昔もうひとつ駅があったというのを聞いたことがありました。え~い、ここまで来たら、こちらも調査にGO!です。

その駅というのは鹿塩駅。現在の、小林駅と仁川駅の間あたりに鹿塩という地名のエリアがありますが、そこに駅があったそうです。しかし、こちらは両脇の小林駅にも仁川駅にも統合されず、消えた駅となっています…しょぼん。

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調べてみると鹿塩駅は、現在金龍寺というお寺が小さな踏切の近くにあり、その裏手辺りにあったのだそうです。
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この「鹿塩踏切道」へ行ってみました。

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確証はないのですが、お寺の裏ということはおそらくこの辺り?だったのでしょうか。

跡地には数年前まで古い枕木などが積まれていて駅の名残を感じさせていたそうなのですが、コロナ禍のあいだにすべて撤去されたそうで、今は駅があったことを思わせるものはないようですね…残念!

後から、さらに調べてみると1943年から1945年までというわずか2年間だけ存在していた駅だそうで、今の阪神競馬場あたりに工場があり、主にその工場職員輸送のための駅だったようです。戦時中にこの工場が空襲にあってなくなったことから、駅も閉鎖となってしまったようでした。

なくなってしまった駅、統合された駅、名前を残す駅…市内の駅にもいろいろな歴史ありですね!

以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!