海のない宝塚で『いわし坂』?
兵庫県は日本海側、太平洋側(瀬戸内海側)両方に面している県ですが、宝塚市はその兵庫県の南東部に位置しているものの、西宮市や尼崎市などのように海に面している部分はありません。
ところが!その宝塚市の中に、海で獲れるお魚の名前がついた坂があるというのは、皆様ご存知でしたか?
その名も…『いわし坂』!!!
「いわし」といえば、海で獲れるあのお魚の「イワシ」ですよね?魚偏に弱いと書くあの「鰯」ですよね??
もしかしたらスタッフが無知なだけで、「イワシ」とは何か魚以外のものを表す昔の言葉なのかしら?これはきっちり調べておこう!と、さっそく現地に行ってみましたよ~。
大堀川に架かる2つの橋を結ぶ坂
場所は小浜にあります。小浜といえば、戦国時代に今も残る毫攝寺(ごうしょうじ)の寺内町として栄えたエリア。江戸時代には有馬街道や西宮街道、京伏見街道が交わる宿場町として賑わったそうです。
この小浜宿を囲むように流れているのが大堀川という川で、以前にコミパ通信でご紹介した「首地蔵」もこの川の近くにあります。
【宝塚市 歴史探訪】珍スポット『小浜の首地蔵』&お膝元には小浜出身力士?!『谷風岩五郎の墓』
大堀川の川べりはもうすぐ桜も綺麗に咲き誇るお花見スポットとしても知られていますよね。

同じ川沿いですが、桜並木から少し離れた場所にあるのが、今回の謎のテーマにもなっている『いわし坂』です。今のところ海の気配はまったくありませんね。

『いわし坂』は大堀川に架かる高低差がある2つの橋のあいだに伸びていて、下の橋は「西ノ町橋」というようです。

近くにベンチが配置されて、少し休憩できるスペースがあります。

辺りにはお花も植えられていて整備されていました。
坂の名前の謎はまだ解けませんが、ひとまず下から上ってみることにします。
紅葉に椿に竹も…野趣溢れる坂
おや?気になる看板が。「箕面の点」???

「いわし坂のもみじの名所は箕面公園の広さに比べると点の広さ位しかありませんので箕面の点と呼んでいます」…なるほど、面白い~~!! ユニークな看板ですね。
確かに箕面公園に比べてだいぶこじんまりとしたエリアになりますが、この辺りにももみじが植えられていて秋になれば紅葉が楽しめるということのよう。シーズンはちょうど終わってしまったところですが、次回楽しみにしたいと思います。

そして坂をのぼる途中にはたくさんの“落ち椿”が。見上げると少し残っている花もありました。

さらにその向こうには少しですが竹も植えられているようですね。左側には静かに流れる大堀川があります。
しかし『いわし坂』の名前の由来はまだ解明されていません。もちろん潮の香りなどもしませんし、道は上の方で少しカーブしていますが、魚っぽいカタチ(どんなかたち?!)になっているわけでもないし…。
遂に『いわし坂』の名前の謎、解明!!!
頭の中がはてなマークでいっぱいになりかけた頃に、坂に関する案内板を発見しました~!これで謎が解けるぞ~~~!

と思ったのもつかの間……読…め…ないッ!なぜ!なぜ、手すり柵が案内板とこんな隙間もない接近戦になっているのでしょうか!!!!

上の方から見たり…

下の方から見たり…
頑張ってみましたが、全文は難しいですね~~!
とりあえず、見える部分だけでも文字におこしてみましょう。
いわし坂
「小浜」の地名は、太古(?)の海が深く入り込んで
いた頃の一海村であった(?)と伝承されている。
「いわし坂」と呼ぶのは、(?)附近まで内海であった
頃武庫浦でとれた鰯を荷(?)したところより呼ば
れるようになったといわ(?)いる。又、このあた
りは「雑魚場」「しおから(?)などと呼ばれていた。
江戸期「小浜町」は寺内(?)であり、自衛のため
橋を架けなかった。この上の(?)国府橋」は、明治八年(一八一五)
に出来た橋で、それ以前は(?)の坂道を通って有馬
街道に出ていた。
う~~む、1、2文字どうやっても見えないので、(?)の部分は推測になりますが、名前の由来の点でいえば、大昔にはなんとこの辺りまで内海があり、「小浜」という名前もそこからきた名前だということのようですね。言われてみれば“浜”ですから海に関する文字でした。
そしてどうやら武庫浦という場所で獲れた鰯をこの場所で荷揚げしていたことから『いわし坂』と呼ばれるようになったということでしょうか!
今は海の気配すらないこの場所で、大昔に新鮮な鰯がピチピチと荷揚げされていたと思うと、不思議な気持ちになりますね~! しかし、これで『いわし坂』の名前の謎も解けました!

坂の上の方は少しだけ階段になっています。

上り切った場所は赤い欄干が印象的な国府橋(こくふばし)のたもと。

橋の上から見下ろすと、途中からは木などの影になりますが少し移動したりするといわし坂を見渡すことができます。こうやって見るとかなり高低差を感じますね。
ここでたくさんの鰯が荷揚げされていたのか~としみじみ想像していると…よし、今日のご飯は鰯が食べたいな!と思ったりした食いしん坊のスタッフなのでした(笑)。
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
いわし坂
兵庫県宝塚市小浜5-17-2
兵庫県は日本海側、太平洋側(瀬戸内海側)両方に面している県ですが、宝塚市はその兵庫県の南東部に位置しているものの、西宮市や尼崎市などのように海に面している部分はありません。
ところが!その宝塚市の中に、海で獲れるお魚の名前がついた坂があるというのは、皆様ご存知でしたか?
その名も…『いわし坂』!!!
「いわし」といえば、海で獲れるあのお魚の「イワシ」ですよね?魚偏に弱いと書くあの「鰯」ですよね??
もしかしたらスタッフが無知なだけで、「イワシ」とは何か魚以外のものを表す昔の言葉なのかしら?これはきっちり調べておこう!と、さっそく現地に行ってみましたよ~。
大堀川に架かる2つの橋を結ぶ坂
場所は小浜にあります。小浜といえば、戦国時代に今も残る毫攝寺(ごうしょうじ)の寺内町として栄えたエリア。江戸時代には有馬街道や西宮街道、京伏見街道が交わる宿場町として賑わったそうです。
この小浜宿を囲むように流れているのが大堀川という川で、以前にコミパ通信でご紹介した「首地蔵」もこの川の近くにあります。
【宝塚市 歴史探訪】珍スポット『小浜の首地蔵』&お膝元には小浜出身力士?!『谷風岩五郎の墓』
大堀川の川べりはもうすぐ桜も綺麗に咲き誇るお花見スポットとしても知られていますよね。

同じ川沿いですが、桜並木から少し離れた場所にあるのが、今回の謎のテーマにもなっている『いわし坂』です。今のところ海の気配はまったくありませんね。

『いわし坂』は大堀川に架かる高低差がある2つの橋のあいだに伸びていて、下の橋は「西ノ町橋」というようです。

近くにベンチが配置されて、少し休憩できるスペースがあります。

辺りにはお花も植えられていて整備されていました。
坂の名前の謎はまだ解けませんが、ひとまず下から上ってみることにします。
紅葉に椿に竹も…野趣溢れる坂
おや?気になる看板が。「箕面の点」???

「いわし坂のもみじの名所は箕面公園の広さに比べると点の広さ位しかありませんので箕面の点と呼んでいます」…なるほど、面白い~~!! ユニークな看板ですね。
確かに箕面公園に比べてだいぶこじんまりとしたエリアになりますが、この辺りにももみじが植えられていて秋になれば紅葉が楽しめるということのよう。シーズンはちょうど終わってしまったところですが、次回楽しみにしたいと思います。

そして坂をのぼる途中にはたくさんの“落ち椿”が。見上げると少し残っている花もありました。

さらにその向こうには少しですが竹も植えられているようですね。左側には静かに流れる大堀川があります。
しかし『いわし坂』の名前の由来はまだ解明されていません。もちろん潮の香りなどもしませんし、道は上の方で少しカーブしていますが、魚っぽいカタチ(どんなかたち?!)になっているわけでもないし…。
遂に『いわし坂』の名前の謎、解明!!!
頭の中がはてなマークでいっぱいになりかけた頃に、坂に関する案内板を発見しました~!これで謎が解けるぞ~~~!

と思ったのもつかの間……読…め…ないッ!なぜ!なぜ、手すり柵が案内板とこんな隙間もない接近戦になっているのでしょうか!!!!

上の方から見たり…

下の方から見たり…
頑張ってみましたが、全文は難しいですね~~!
とりあえず、見える部分だけでも文字におこしてみましょう。
いわし坂
「小浜」の地名は、太古(?)の海が深く入り込んで
いた頃の一海村であった(?)と伝承されている。
「いわし坂」と呼ぶのは、(?)附近まで内海であった
頃武庫浦でとれた鰯を荷(?)したところより呼ば
れるようになったといわ(?)いる。又、このあた
りは「雑魚場」「しおから(?)などと呼ばれていた。
江戸期「小浜町」は寺内(?)であり、自衛のため
橋を架けなかった。この上の(?)国府橋」は、明治八年(一八一五)
に出来た橋で、それ以前は(?)の坂道を通って有馬
街道に出ていた。
う~~む、1、2文字どうやっても見えないので、(?)の部分は推測になりますが、名前の由来の点でいえば、大昔にはなんとこの辺りまで内海があり、「小浜」という名前もそこからきた名前だということのようですね。言われてみれば“浜”ですから海に関する文字でした。
そしてどうやら武庫浦という場所で獲れた鰯をこの場所で荷揚げしていたことから『いわし坂』と呼ばれるようになったということでしょうか!
今は海の気配すらないこの場所で、大昔に新鮮な鰯がピチピチと荷揚げされていたと思うと、不思議な気持ちになりますね~! しかし、これで『いわし坂』の名前の謎も解けました!

坂の上の方は少しだけ階段になっています。

上り切った場所は赤い欄干が印象的な国府橋(こくふばし)のたもと。

橋の上から見下ろすと、途中からは木などの影になりますが少し移動したりするといわし坂を見渡すことができます。こうやって見るとかなり高低差を感じますね。
ここでたくさんの鰯が荷揚げされていたのか~としみじみ想像していると…よし、今日のご飯は鰯が食べたいな!と思ったりした食いしん坊のスタッフなのでした(笑)。
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
いわし坂
兵庫県宝塚市小浜5-17-2