仁川にある“鹿塩(かしお)”とは?
仁川には“鹿塩(かしお)”という地名のエリアがあります。阪急仁川駅から少し小林駅寄りにある地域ですね。
今までコミパ通信でご紹介したことがある鹿塩のお店でいえば、「マクドナルド 宝塚鹿塩店」「カスウドン ガチンコ」「KRAM」「FIKA coffee&bake」などがあるエリアになります。

“鹿”といえばイコール奈良(公園)と思いがちですが(記事内の鹿さんたちの写真はスタッフが奈良公園へ行った時のものです)、この“鹿”がつく地名は全国に500以上もあるんだとか! 確かに“鹿”児島県と県名にもついていましたね!
そもそも鹿というのは縄文時代には既にいた動物とされていて、日本には鹿にまつわるいろいろな文化や民話が多く残っているそうです。
ということは、この“鹿塩”にも何か鹿さんにまつわる由来があるのでは?!と調べてみたところ…ありました…あったのですが…あ、あまりに衝撃的で涙なくしては語れない民話がこの地名の由来だったのです(ぐっすん…)。以降、ハンカチを手にお読みください…。
切なすぎる民話『鹿の鏡井戸』

時は奈良時代。奈良の春日大社から年に一度、雄鹿さんと雌鹿さんがお供物を背負って、宝塚市内にある熊野神社へ使いとして参拝するならわしとなっていたんだそうです。けっこうな距離ですよ…いくら脚が速い鹿さんとはいえ、本当にご苦労様です。

ある年も仲の良い夫婦鹿が神社へやってきたのですが、神社の近くで雌鹿さんの姿が見えなくなってしまったのだとか…!
当然、雄鹿さんは「どこに行ってしまったんだよ~~~!」と愛する雌鹿さんを探し回ったのですが見つからず…あまりの落ち込みぶりに里の人たちも一緒に探してくれたものの、なかなか見つからなかったのだとか…。
そんななか、探し回った疲労とあまりの空腹とでくたくたになり喉が渇いた雄鹿さんは、お水を飲もうと近くにあった井戸に顔を近づけたのです。
すると!井戸の中でずっと探し求めていた雌鹿さんがこちらを見ているじゃありませんか!
…そう、勘のいいコミパ読者様ならもうお気づきかと思うのですが…それは水面に映った自分の姿だったんですね…。んなわけあるか!とお思いになるかもしれませんが、くたくたになりながら探し回った後です、見間違えても不思議じゃありませんよ…。
そしてスタッフは思うのです…確かに人間と違って鹿さんはパッと見、雄と雌の区別つかへんやん…と…(いや、鹿さんにしてみたら「わかるやろ!」かもですが…)。
そして、水面に映った鹿が自分自身ではなく探し求めていた雌鹿さんだと思い込んだ雄鹿さん、「会いたかったよーーーーーッ!!!!!!」と…衝動的に雌鹿さんの元へ…そう、井戸へ飛び込んでしまったのです…!
探しくたびれて疲れ切っていた雄鹿さん、そのまま溺れて亡くなってしまったのだそうです…切ない…切なすぎる…ッ!あまりの悲劇の結末に、スタッフも衝撃&涙です! これはもう鹿界の「ロミオとジュリエット」じゃあありませんかッ!?(涙)
スタッフ同様、里の人たちも雄鹿さんを哀れに思い、その屍を丁重に塩で包んで、春日大社へ送り届けたのだそうです…。
…ん?…塩で包んで…塩で…塩?! そう、これが“鹿塩”の地名の由来だったんです! まさかこの民話クライマックスの、屍を包んだ塩の部分を地名にしていたとは…!(衝撃)

そしてこの民話の舞台となったのが、現在の住所としては鹿塩から少しズレていますが、宝塚鹿塩郵便局の前に鳥居を構える「熊野神社」になるんだそうです。
後日談や他の民話も?!

このお話ですが民話らしくいろいろな説があり、雄鹿さんと雌鹿さんが逆になっていたり、後に帰ってきた鹿が嘆き悲しんで井戸を抱くようにそばで亡くなっていた(これまた切ない…)という後日談があったり…といろいろな説があるようです。
またこの悲劇以降、10月に行われる「熊野神社」祭礼の日には、塩漬けにしたものを口にしないというならわしがあったものの、それをこっそりと破った農家を火元に鹿塩の村が大火事によって灰になった…などの昔話も!
今回は現在も残る地名にまつわるお話でしたが、宝塚にはこういった民話がまだまだたくさんあるそうです。身近な場所が登場するお話は興味が湧きますね!

ちなみに今回の『鹿の鏡井戸』のお話は、「熊野神社」の公式HPでアニメーション動画でも見ることができますよ。悲しいお話ですが、とっても可愛い鹿さんたちが登場するので、ぜひ見てみてくださいね。
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
熊野神社
兵庫県宝塚市仁川台1-7
0798-51-3664
仁川には“鹿塩(かしお)”という地名のエリアがあります。阪急仁川駅から少し小林駅寄りにある地域ですね。
今までコミパ通信でご紹介したことがある鹿塩のお店でいえば、「マクドナルド 宝塚鹿塩店」「カスウドン ガチンコ」「KRAM」「FIKA coffee&bake」などがあるエリアになります。

“鹿”といえばイコール奈良(公園)と思いがちですが(記事内の鹿さんたちの写真はスタッフが奈良公園へ行った時のものです)、この“鹿”がつく地名は全国に500以上もあるんだとか! 確かに“鹿”児島県と県名にもついていましたね!
そもそも鹿というのは縄文時代には既にいた動物とされていて、日本には鹿にまつわるいろいろな文化や民話が多く残っているそうです。
ということは、この“鹿塩”にも何か鹿さんにまつわる由来があるのでは?!と調べてみたところ…ありました…あったのですが…あ、あまりに衝撃的で涙なくしては語れない民話がこの地名の由来だったのです(ぐっすん…)。以降、ハンカチを手にお読みください…。
切なすぎる民話『鹿の鏡井戸』

時は奈良時代。奈良の春日大社から年に一度、雄鹿さんと雌鹿さんがお供物を背負って、宝塚市内にある熊野神社へ使いとして参拝するならわしとなっていたんだそうです。けっこうな距離ですよ…いくら脚が速い鹿さんとはいえ、本当にご苦労様です。

ある年も仲の良い夫婦鹿が神社へやってきたのですが、神社の近くで雌鹿さんの姿が見えなくなってしまったのだとか…!
当然、雄鹿さんは「どこに行ってしまったんだよ~~~!」と愛する雌鹿さんを探し回ったのですが見つからず…あまりの落ち込みぶりに里の人たちも一緒に探してくれたものの、なかなか見つからなかったのだとか…。
そんななか、探し回った疲労とあまりの空腹とでくたくたになり喉が渇いた雄鹿さんは、お水を飲もうと近くにあった井戸に顔を近づけたのです。
すると!井戸の中でずっと探し求めていた雌鹿さんがこちらを見ているじゃありませんか!
…そう、勘のいいコミパ読者様ならもうお気づきかと思うのですが…それは水面に映った自分の姿だったんですね…。んなわけあるか!とお思いになるかもしれませんが、くたくたになりながら探し回った後です、見間違えても不思議じゃありませんよ…。
そしてスタッフは思うのです…確かに人間と違って鹿さんはパッと見、雄と雌の区別つかへんやん…と…(いや、鹿さんにしてみたら「わかるやろ!」かもですが…)。
そして、水面に映った鹿が自分自身ではなく探し求めていた雌鹿さんだと思い込んだ雄鹿さん、「会いたかったよーーーーーッ!!!!!!」と…衝動的に雌鹿さんの元へ…そう、井戸へ飛び込んでしまったのです…!
探しくたびれて疲れ切っていた雄鹿さん、そのまま溺れて亡くなってしまったのだそうです…切ない…切なすぎる…ッ!あまりの悲劇の結末に、スタッフも衝撃&涙です! これはもう鹿界の「ロミオとジュリエット」じゃあありませんかッ!?(涙)
スタッフ同様、里の人たちも雄鹿さんを哀れに思い、その屍を丁重に塩で包んで、春日大社へ送り届けたのだそうです…。
…ん?…塩で包んで…塩で…塩?! そう、これが“鹿塩”の地名の由来だったんです! まさかこの民話クライマックスの、屍を包んだ塩の部分を地名にしていたとは…!(衝撃)

そしてこの民話の舞台となったのが、現在の住所としては鹿塩から少しズレていますが、宝塚鹿塩郵便局の前に鳥居を構える「熊野神社」になるんだそうです。
後日談や他の民話も?!

このお話ですが民話らしくいろいろな説があり、雄鹿さんと雌鹿さんが逆になっていたり、後に帰ってきた鹿が嘆き悲しんで井戸を抱くようにそばで亡くなっていた(これまた切ない…)という後日談があったり…といろいろな説があるようです。
またこの悲劇以降、10月に行われる「熊野神社」祭礼の日には、塩漬けにしたものを口にしないというならわしがあったものの、それをこっそりと破った農家を火元に鹿塩の村が大火事によって灰になった…などの昔話も!
今回は現在も残る地名にまつわるお話でしたが、宝塚にはこういった民話がまだまだたくさんあるそうです。身近な場所が登場するお話は興味が湧きますね!

ちなみに今回の『鹿の鏡井戸』のお話は、「熊野神社」の公式HPでアニメーション動画でも見ることができますよ。悲しいお話ですが、とっても可愛い鹿さんたちが登場するので、ぜひ見てみてくださいね。
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
熊野神社
兵庫県宝塚市仁川台1-7
0798-51-3664