「宝塚」って、なんで「宝塚」なんだろう?

我々が住んでいる「宝塚」ですが、どうしてこういった地名になったのか?ということは深く考えたことはない、という方がほとんどだと思います(恥ずかしながらこの文章を書いているスタッフもそうです)。
この地名が最初に使われたのは明治20年頃だそうです。最初は温泉の名称として、その後、鉄道の駅名として定着したんだそう。そして「宝塚市」が誕生したのは昭和29年なんだそうです。

いまや全国的に、「宝塚」イコール歌劇という認識も定着した感がありますが、歌劇の記念すべき第一回公演は大正3年とのことなので、もちろん地名はずいぶん前についていましたが「市」としての誕生よりは歌劇の方がずいぶん歴史があるんですね~!
実は「宝塚」という地名の由来には、調べてみると諸説あるようです。
まずは
「周辺で物を拾えば幸せが舞い込むといわれた古墳があった」
確かに、宝塚には古墳が大小たくさん残っています。「塚」といえば古墳のことも差しますからね。
言い伝えの幸運が舞い込む古墳がどこの古墳かはわかりませんが、なくはない説ですね…しかし、幸運が舞い込む古墳なら周りにあるものをいろいろ拾い集めたくなります!
さらに
「宝物を埋蔵していると伝わる宝の塚があった」
これもまた、ありそうな話です。しかし宝物が埋蔵されている塚だなんて、昔の話とはいえ一体どこにあったのかすご~く気になります!
市内に「宝の塚」は2箇所ある!?
そこで某マップアプリで「宝の塚」と試しに検索してみたところ…2箇所出てきましたよ!これは行って確かめてみなければッ!
ひとつは宝梅中学校!…の敷地内、ということでお邪魔するのは控えさせていただきましたが、調べてみると幅約6.5m高さ約2mというかなりのサイズがある古墳のような石室なんだそう。
実際には今の場所より少し離れた梅林の中にあったものを復元したものなんだそうです。学校の中に「宝の塚」があるだなんて、夢がありますね~!
そして、もう1箇所は御殿山!こちらは道のそばに石碑があるそうなので、さっそく見に行ってみました!

場所はJR宝塚駅から徒歩15分ほど。 道からもすぐわかる場所に、とても立派で大きな石碑がありました!
写真の左端に少しだけ写り込んでいるベンチとそのサイズ感を比較してみれば、その大きさもわかると思います。
しっかり「宝の塚」と彫られていますね。横に案内板がありました。

…う~~~ん、読みづらい…ッ(笑)!!!!
そこで設置されて間もない頃に足を運ばれたという方が撮影されていた写真を見せていただき、文字に起こしてみました。
「この石碑は、この地域が「摂陽
群談」<元禄14年(1701年)
刊>等の資料に記された「宝塚」
の伝承地の一つであることから、
かつて土地所有者であった小林英
次氏が、昭和35年ごろに当時
の宝塚市長・田中詮徳氏に揮毫を
依頼して建立したものである」
と記されているようです。
「宝塚」の由来は謎に包まれる…
文章のなかに「伝承地の一つ」とあり、「ここです!ここがズバリ地名の由来の場所です!」と限定しているわけでもないようです。残念!
後からもいろいろ調べてみたところ、地名の由来となった「宝の塚」とされる場所は2箇所どころか市内の他にも数箇所あるのだそうで、「ここが!」という場所は確定されていないのだそう。
また、「宝の塚」の伝承から取ったのではなく、宝塚温泉を開湯した際に縁起の良い名前としてつけたものがのちに地名となったというような説もあるそうで、「宝塚」の謎はいっそう深まるばかりなのでした~!

けれど、こうやって「宝の塚」と記された立派な石碑を前にして、地名の歴史に思いを馳せるのも良いものですね。
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
宝の塚
兵庫県宝塚市御殿山3-6-3

我々が住んでいる「宝塚」ですが、どうしてこういった地名になったのか?ということは深く考えたことはない、という方がほとんどだと思います(恥ずかしながらこの文章を書いているスタッフもそうです)。
この地名が最初に使われたのは明治20年頃だそうです。最初は温泉の名称として、その後、鉄道の駅名として定着したんだそう。そして「宝塚市」が誕生したのは昭和29年なんだそうです。

いまや全国的に、「宝塚」イコール歌劇という認識も定着した感がありますが、歌劇の記念すべき第一回公演は大正3年とのことなので、もちろん地名はずいぶん前についていましたが「市」としての誕生よりは歌劇の方がずいぶん歴史があるんですね~!
実は「宝塚」という地名の由来には、調べてみると諸説あるようです。
まずは
「周辺で物を拾えば幸せが舞い込むといわれた古墳があった」
確かに、宝塚には古墳が大小たくさん残っています。「塚」といえば古墳のことも差しますからね。
言い伝えの幸運が舞い込む古墳がどこの古墳かはわかりませんが、なくはない説ですね…しかし、幸運が舞い込む古墳なら周りにあるものをいろいろ拾い集めたくなります!
さらに
「宝物を埋蔵していると伝わる宝の塚があった」
これもまた、ありそうな話です。しかし宝物が埋蔵されている塚だなんて、昔の話とはいえ一体どこにあったのかすご~く気になります!
市内に「宝の塚」は2箇所ある!?
そこで某マップアプリで「宝の塚」と試しに検索してみたところ…2箇所出てきましたよ!これは行って確かめてみなければッ!
ひとつは宝梅中学校!…の敷地内、ということでお邪魔するのは控えさせていただきましたが、調べてみると幅約6.5m高さ約2mというかなりのサイズがある古墳のような石室なんだそう。
実際には今の場所より少し離れた梅林の中にあったものを復元したものなんだそうです。学校の中に「宝の塚」があるだなんて、夢がありますね~!
そして、もう1箇所は御殿山!こちらは道のそばに石碑があるそうなので、さっそく見に行ってみました!

場所はJR宝塚駅から徒歩15分ほど。 道からもすぐわかる場所に、とても立派で大きな石碑がありました!
写真の左端に少しだけ写り込んでいるベンチとそのサイズ感を比較してみれば、その大きさもわかると思います。
しっかり「宝の塚」と彫られていますね。横に案内板がありました。

…う~~~ん、読みづらい…ッ(笑)!!!!
そこで設置されて間もない頃に足を運ばれたという方が撮影されていた写真を見せていただき、文字に起こしてみました。
「この石碑は、この地域が「摂陽
群談」<元禄14年(1701年)
刊>等の資料に記された「宝塚」
の伝承地の一つであることから、
かつて土地所有者であった小林英
次氏が、昭和35年ごろに当時
の宝塚市長・田中詮徳氏に揮毫を
依頼して建立したものである」
と記されているようです。
「宝塚」の由来は謎に包まれる…
文章のなかに「伝承地の一つ」とあり、「ここです!ここがズバリ地名の由来の場所です!」と限定しているわけでもないようです。残念!
後からもいろいろ調べてみたところ、地名の由来となった「宝の塚」とされる場所は2箇所どころか市内の他にも数箇所あるのだそうで、「ここが!」という場所は確定されていないのだそう。
また、「宝の塚」の伝承から取ったのではなく、宝塚温泉を開湯した際に縁起の良い名前としてつけたものがのちに地名となったというような説もあるそうで、「宝塚」の謎はいっそう深まるばかりなのでした~!

けれど、こうやって「宝の塚」と記された立派な石碑を前にして、地名の歴史に思いを馳せるのも良いものですね。
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
宝の塚
兵庫県宝塚市御殿山3-6-3