有馬街道沿いに当時の道標が!
宝塚市内には古い町並みなど風情を残すエリアが随所にあって、訪ねて歴史を感じてみるのも楽しいものです。
市内の歴史遺跡を辿るのが好きなコミパスタッフ、実は兵庫県下でもっとも古い?!とされる貴重なものがあると聞いて訪ねてきました!
今回の舞台は安倉です。有馬へ向かう「有馬街道」の道中に、宿場町として栄えた小浜があるのは有名な話ですが、安倉といえばそのお隣。地図で確認すると、もちろん安倉にも有馬街道が通っていました。
その当時の道標が、今も残されているんだそう。これはぜひ見てみたい!

場所は県道142号線の「安倉団地北」交差点がいちばん近い目印でしょうか。ここから歩いて2、3分ほど…

目的地は静かな住宅街の中にひっそりとある三叉路にありました。
案内板のそばに道標が…ない!?
まず見つけたのは案内板です。

「寬文八年紀年銘道標(かんぶんはちねんきねんめいどうひょう)」とあります。
(過去に何度か記事にした「歴史探訪」シリーズですが、いつも経年劣化でなかなか読みづらいものが多かった案内板、今回ははっきりと読めます(笑)!ありがたや~。)
やはり貴重なものですからね、昭和61年に市の指定文化財に指定されていました。
こちらを見てみると、宿場町だった小浜方面から進んできて、尼崎に向かう道と伊丹に向かう道の分岐点として西念という人が立てたもののようです。どうやらこの三叉路の通称が「姥ヶ茶屋」(ばんがちゃや)だったようで「姥ヶ茶屋道標」と呼ばれることもあるよう。
それにしても立てられたのが寬文八年(1668年)ということは、今から350年以上も前ということになります! そんな歴史を重ねた道標はぜひ拝みたい!…拝みたい…けど、案内板の左右を見てもそれらしきものは…どこでしょうか…??
案内板のある場所から少し下がって見ると、左右両方がなんとも怪しいのですが、右側の道に少し奥まったスペースがあり柵的なポールもあるのでこちらの方がなんとなく怪しい匂いがプンプンします。

が、道標らしきものは……もしかしてこの祠の中に大事に祀られていたりするのでしょうか?!と思って、手を合わせてから少し覗かせていただきましたが、道標らしきものはありませんでした…お邪魔いたしました…。
350年前に刻まれた文字を読む
案内板の前に戻り、三叉路のもう一方の怪しい左方を見ると…

ありましたー! こちらにも小さな祠が2つ並んでいて、その右側の右奥にあるのが、紛れもなく探し求めていた道標のようです!

さっそく近寄って見てみましたが…特に地名だとか、方角を示すような文字も刻まれていない様子…?
が、しかし!う~~~~っすらと!なんとなぁ~~~~く、ですが、正面の上方に、何か文字があったのでは…?という痕跡があるような…
そういえば、案内板には何の文字が刻まれていたか書かれていました!
(右) 右ハあまかさきみち
寛文八年
千日かくや
(正) 南無阿弥陀佛
道心西念
申二月吉日
(左) 左ハいたミノみち

確かに、この上方のうっすら読める文字「南」に見えます!「南無阿弥陀佛」の「南」ですね!

そして、右下の方に見えるのは「千日かくや」の「千日」なのではないでしょうか?!

左側面も何か刻まれていたような跡はあるにはあるのですが、さすがに文字はもう判別できないようです。右側面は祠の壁で見ることができませんでした。
それにしても350年以上も前に刻まれた文字を、たった数文字でもこうやって読むことができるだなんて歴史が紡いだロマンです! 西念さんも350年後の人間がこの道標の文字を読むだなんて想像もしなかったのではないでしょうか?
「最古」?「最古のもののひとつ」?どっち?!

ところで、こちらの案内板には「兵庫県下で最も古いもののひとつ」となっていました。「もののひとつ」ということは、この道標が一番古い!というわけでもないのかな、と思っていたところ…
案内板に「寛文年間(1661~1673)に立てられた道標は、宝塚市の他に伊丹市、川西市、池田市、箕面市等で計6本が確認されている。」とあったので、帰宅後に同じ寛文に立てられた「寛文9年銘道標」があるという伊丹市HPを見てみました。
こちらの道標の紹介文には「在銘の道標としては市内最古で,兵庫県下でも宝塚市にある寛文8年銘の道標2基(うち1基は現在所在不明)についで3番目に古いものです。」とありました。
気になって他市の寛文年間に立てられた道標を調べてみたところ、コミパスタッフが調べた限りでは寛文十年、寛文十二年など、僅かに安倉にあるものより新しいよう。
あれ?じゃあ、やっぱり安倉にあるものが県下で最古なのではッ?!…と言いきりたいところなのですが…歴史は未知の世界もまだまだ多く残されています。これ以上に古いものが新たに発見されるかもしれませんからね! やはり「県下最古のもののひとつ」にしておきましょう(笑)。
皆さんもぜひ350年という、気が遠くなるような長い時を超えてきた文字を、読み解きに行かれてみてはいかがでしょうか?
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
寛文八年紀年銘道標
兵庫県宝塚市安倉南4-2-20
宝塚市内には古い町並みなど風情を残すエリアが随所にあって、訪ねて歴史を感じてみるのも楽しいものです。
市内の歴史遺跡を辿るのが好きなコミパスタッフ、実は兵庫県下でもっとも古い?!とされる貴重なものがあると聞いて訪ねてきました!
今回の舞台は安倉です。有馬へ向かう「有馬街道」の道中に、宿場町として栄えた小浜があるのは有名な話ですが、安倉といえばそのお隣。地図で確認すると、もちろん安倉にも有馬街道が通っていました。
その当時の道標が、今も残されているんだそう。これはぜひ見てみたい!

場所は県道142号線の「安倉団地北」交差点がいちばん近い目印でしょうか。ここから歩いて2、3分ほど…

目的地は静かな住宅街の中にひっそりとある三叉路にありました。
案内板のそばに道標が…ない!?
まず見つけたのは案内板です。

「寬文八年紀年銘道標(かんぶんはちねんきねんめいどうひょう)」とあります。
(過去に何度か記事にした「歴史探訪」シリーズですが、いつも経年劣化でなかなか読みづらいものが多かった案内板、今回ははっきりと読めます(笑)!ありがたや~。)
やはり貴重なものですからね、昭和61年に市の指定文化財に指定されていました。
こちらを見てみると、宿場町だった小浜方面から進んできて、尼崎に向かう道と伊丹に向かう道の分岐点として西念という人が立てたもののようです。どうやらこの三叉路の通称が「姥ヶ茶屋」(ばんがちゃや)だったようで「姥ヶ茶屋道標」と呼ばれることもあるよう。
それにしても立てられたのが寬文八年(1668年)ということは、今から350年以上も前ということになります! そんな歴史を重ねた道標はぜひ拝みたい!…拝みたい…けど、案内板の左右を見てもそれらしきものは…どこでしょうか…??
案内板のある場所から少し下がって見ると、左右両方がなんとも怪しいのですが、右側の道に少し奥まったスペースがあり柵的なポールもあるのでこちらの方がなんとなく怪しい匂いがプンプンします。

が、道標らしきものは……もしかしてこの祠の中に大事に祀られていたりするのでしょうか?!と思って、手を合わせてから少し覗かせていただきましたが、道標らしきものはありませんでした…お邪魔いたしました…。
350年前に刻まれた文字を読む
案内板の前に戻り、三叉路のもう一方の怪しい左方を見ると…

ありましたー! こちらにも小さな祠が2つ並んでいて、その右側の右奥にあるのが、紛れもなく探し求めていた道標のようです!

さっそく近寄って見てみましたが…特に地名だとか、方角を示すような文字も刻まれていない様子…?
が、しかし!う~~~~っすらと!なんとなぁ~~~~く、ですが、正面の上方に、何か文字があったのでは…?という痕跡があるような…
そういえば、案内板には何の文字が刻まれていたか書かれていました!
(右) 右ハあまかさきみち
寛文八年
千日かくや
(正) 南無阿弥陀佛
道心西念
申二月吉日
(左) 左ハいたミノみち

確かに、この上方のうっすら読める文字「南」に見えます!「南無阿弥陀佛」の「南」ですね!

そして、右下の方に見えるのは「千日かくや」の「千日」なのではないでしょうか?!

左側面も何か刻まれていたような跡はあるにはあるのですが、さすがに文字はもう判別できないようです。右側面は祠の壁で見ることができませんでした。
それにしても350年以上も前に刻まれた文字を、たった数文字でもこうやって読むことができるだなんて歴史が紡いだロマンです! 西念さんも350年後の人間がこの道標の文字を読むだなんて想像もしなかったのではないでしょうか?
「最古」?「最古のもののひとつ」?どっち?!

ところで、こちらの案内板には「兵庫県下で最も古いもののひとつ」となっていました。「もののひとつ」ということは、この道標が一番古い!というわけでもないのかな、と思っていたところ…
案内板に「寛文年間(1661~1673)に立てられた道標は、宝塚市の他に伊丹市、川西市、池田市、箕面市等で計6本が確認されている。」とあったので、帰宅後に同じ寛文に立てられた「寛文9年銘道標」があるという伊丹市HPを見てみました。
こちらの道標の紹介文には「在銘の道標としては市内最古で,兵庫県下でも宝塚市にある寛文8年銘の道標2基(うち1基は現在所在不明)についで3番目に古いものです。」とありました。
気になって他市の寛文年間に立てられた道標を調べてみたところ、コミパスタッフが調べた限りでは寛文十年、寛文十二年など、僅かに安倉にあるものより新しいよう。
あれ?じゃあ、やっぱり安倉にあるものが県下で最古なのではッ?!…と言いきりたいところなのですが…歴史は未知の世界もまだまだ多く残されています。これ以上に古いものが新たに発見されるかもしれませんからね! やはり「県下最古のもののひとつ」にしておきましょう(笑)。
皆さんもぜひ350年という、気が遠くなるような長い時を超えてきた文字を、読み解きに行かれてみてはいかがでしょうか?
以上、宝塚の情報を発信する宝塚コミパ通信KAでした!
寛文八年紀年銘道標
兵庫県宝塚市安倉南4-2-20